九州和の会では、毎月定例会を開催しており、午前中に「吉田綾霊談集(上)」をテキストに勉強会を開催しておりますが、そこで出された話について考察してみたいと思います。
吉田綾霊談集(上)p100に「神は有るか、無いか」という題名の文章がありますが、その文章を読んで、以下のような趣旨の意見がありました。
・昔は唯物論の偏った思想の人がいて、学生たちもその思想を妄信的に受け入れて熱狂していたことがあった。
・ある新興宗教の信者も仏壇を破壊するなど過激なことをしたりしていた。
・インターネットの世界には様々な情報があるが、根っこにある部分がないと危険。
・「吉田綾霊談集」は確かに素晴らしい書籍だと思うが、金科玉条のごとくあがめてはいけないのではないか?
現在の新興宗教の団体の中にも妄信、狂信されている偏った思想の方々を多く見られると思います。
しかし、昔は情報も少なかったですし、時代的な背景もあると思いますが、出世して裕福になることが人の幸せといった考え方などから、まっすぐに向上心を持って努力する人が素晴らしいという価値観が現在の人に比べると強かったと思われます。
こういった要因から、物事を熱烈に信じてしまう人も多かったのではないかと思います。
しかし、それによって多くの不幸が生み出されてきたことは歴史が証明しています。
信じるということは大切なことだと思いますが、信じようとしていることが、信じるに値するかをよくよく検討することも大変重要なことではないでしょうか?
インターネットの話題も出されましたが、インターネットにより様々な情報が発信され、多くの知識を吸収できる環境ができてきたとはいえ、中には誤った情報、それを信じることで人を不幸にしてしまうような有害な知識なども多く存在しています。
悪意のある人物からの情報はもちろんですが、悪意はなくとも、発信している人自身は良かれと思って発信している情報の中にも有害な情報は含まれていると思われますから、それを受け入れるに値するか否かを判断する判断力は養っておかねばならないと思います。
また、そのための有益な情報を発信することも、誤った情報から不幸を生み出すことに対するくさびを打つことにつながると思われます。
狂信、妄信に関することについて話を戻します。
ある書物、ある指導者、ある教義、ある法律等々、どのようなものであっても、完璧なものはこの世には存在しないのではないでしょうか?
例えば、ある指導者を妄信し、その人の言う事をすべて受け入れるようになった場合、その人が間違った方向に進みだすと、自分自身も道を踏み外してしまいます。
どこかで、物事を一歩引いて客観的に見るといった姿勢を持っておかないと、これまでに様々な宗教が犯してきた過ちと同じ過ちを犯すことにつながるのではないかと思います。
またこれは、宗教に限ったことではないと思います。
どのような人間にも完璧な人間というものは存在しません。
もし仮に、今自分が、「これが正しい。」、「かくあるべきだ。」といった信念、価値観があるにしても、問題が解決しない、逆にそういった価値観を持つようになったことで問題は大きくなった、なぜかいつまでたっても心が満たされることはない、幸福感が得られないといった場合は、一度、そういった信念、価値観を脇に置いておいて、「こうであってもいいのではないか。」とか、「逆に、こうあるべきと考えてはどうか。」といった具合に、物事を違った角度から見てみてはいかがでしょうか?
そうすることで、物事がうまく回りだしたとしたなら、ひょっとすると、以前抱いていた信念が誤っていた、もしくは、歪んで解釈していたということになるのではないかと思います。
そして、自分が置かれていた状況から一歩前進できたということができるかもしれません。
成長とはこのようなことの連続と考えてもよいのではないかと思います。
今現在、自分自身の信念が完璧なもので、変える余地のないものと考えているとしたら、それは、自分自身の成長の可能性を奪っているのかもしれません。
そして、信念を変える前の自分を、他の角度から眺めている人がいて、「こちらから見れば、先に進めるのに。」と考えている人がいらっしゃるかもしれません。
その人は、ひょっとすると、信念を変える前(物事を違う角度から見る前)の自分と同じ状況に置かれたら、難なく切り抜けていたかもしれないと思います。
つまり、成長とは、物事をいかに多面的に見れるかが一つの指標となるのではないかと思います。
このように考えると、妄信、狂信(妄信、狂信と言えば、どこか大げさで、自分とは無関係のように思われるかもしれませんので、今自分が抱いている信念や、そこまで強いものでなくとも、習慣化している思考パターンといったものと言った方が良いでしょうか。)の危険性が、また深く理解できるかもしれません。
ここで紹介させていただく文章が、問題解決、成長のための一つの気づきとなれば幸いです。