ポジティブな考えを維持するには

蓮の花

精神世界においては、ポジティブな考えを維持することの重要性が説かれていますが、そのためにはどうすればよいのでしょうか?

和の会の例会においてそれに関連した話が出てきたのでご紹介したいと思います。

理想的な生き方とは

6月の例会の勉強会において、以下のような話がありました。

「和の会の例会のようなところに来ていると、前向きな考え方を維持できるが、ぐれん隊のような人とつながると難しくなってくる。そのため、こういった例会に出続けることが大事。前向きな考えが出てくる環境が大事。例会で学んだことが考え方に影響を及ぼすから、まともになってくる。」

人は日々、様々な事を考え、行動し、その行動によって生じた結果となる事象を経験しているものだと思いますが、主体的に考え、行動しているようで、無意識に行動していることがほとんどではないかと思います。

例えば、朝目を覚まして、「おはよう。」とあいさつをして、顔を洗って、台所の椅子に座って、箸を取って、茶碗を持って、家族に話しかけて、という具合にして、すべて意識しながら行動している人は恐らくいないと思います。

こういった日常での行動、習慣的なことは無意識にしているのではないでしょうか?

もし仮に、一つ一つを意識しながらしていれば、そのうち、ストレスが溜まり、神経症などの病気を発症してしまうのではないかと思います。

このように、人は、日常の行動のほとんどを無意識にしているものだと思いますし、それが自然なあり方だろうと思われます。

しかし、無意識に行動するということは、裏を返せば、周囲の環境の影響を知らず知らずのうちに受け、自分の意志とは無関係に様々な方向へと誘導されているとも考えられると思います。

周囲が、愛、勇気、希望、信念といった、ポジティブな感情でいる場合は、自分自身の状態もそのようなポジティブなものになり、周囲が、恨み、後悔、妬み、失望といったネガティブな感情でいる場合は、ネガティブな状態に染まってくるものではないでしょうか?

では、そうだからと言って、自分が楽しいと思うことだけをして、ポジティブな人ばかりと接するというのはどうでしょう。

この場合は、世の中には悩みや苦しみの中にある人が星の数ほどいらっしゃるわけですから、何か道義的に間違っているように思えます。

また、楽しいことばかりしていても、成長できないようにも思えます。

筋肉も負荷を与えなければ、強化されず、逆に衰えて弱っていくように、人間も苦しみや困難がなければ、多少の困難ももろともしないような強さを手に入れることはできないでしょうし、ほんのちょっと嫌な事があっただけで、立ち直れなくなったり、身動きが取れなくなるような軟弱な魂になってしまう可能性があるのではないかと思います。

結局のところ、俗世間にあって、問題や困難に真正面から立ち向かい、なおかつ、歪んだ考えに染まることなく、逆に、周囲の人を正しい方向へと導くことができれば、それが人としての理想的な生き方と言えるのかもしれません。

もしも教訓がラクに学べるものだとしたら、もしも人生に苦労も誘惑も困難もなく、気楽な漫遊の旅だったら、それは頽廃への道を進んでいることになります。

そして、孤軍奮闘していれば、精神的、身体的に疲れが生じたり、知らず知らずのうちに、考え方に歪みが生じる可能性もありますから、定期的に、和の会のような集まりに参加して、勉強会をしたり、精神統一をするなどして、考え方や生活習慣を修正、補正していくことも大切なことではないかと思います。