しっかりとした判断力を持つためには

2018年5月27日の月例会の内容をご報告します。

午前中に「吉田綾霊談集・上」をテキストとして勉強会を開催しましたので、その中の、問題の解決、成長のための気づきとなる内容をご紹介できればと思います。

「吉田綾霊談集・上」のp102に

「人間の目の事を“まなこ”と言いますが、これは真中を取る義であります。又ガンとも申しまして、『彼はガンの付け所がしっかりしているから大成するだろう』などと申します。一方だけを見て他の一方を見ない、つまり物の表面の物質だけを見て、その裏にある本物の霊的なものを見ないでは、“まなこ”では無いし、ガンの付け所が違っている訳ですね。」

というくだりがありました。

そして、次のような話が出されました。

  • 「木を見て森を見ず」という言葉がある。
  • 人間はどうしても見るもので判断してしまう。
  • 自分の関心のあるものばかり見ていてもわからない。
  • 一歩引いて見る、客観的に見るということをして、軌道修正をしていかねばならない。
  • 心霊(精神世界のこと全般、宗教なども含まれると思います。)が怖いのは背後霊と一緒になっているから大丈夫となること。こういう研究会に来て客観的に見る機会を持たないといけない。

人はどのような人でも、これまで読んだ書籍の内容や経験してきた事柄をもとに、日常生活で体験することに対して、自分なりの判断をくだしているものだと思います。

例えば、他人から悪口を言われて嫌な思いをしたことがあれば、他人が悪口を言っていれば、「あの人のしていることは良くないことだ。」という判断をすると思いますが、そういったことがなければ、いいとも悪いとも判断せずに、一緒になって悪口を言うかもしれません。

そうやっているうちに、今度は自分が悪口を言われ、嫌な思いをする羽目になるのではないかと思います。

また、逆に、善だ悪だと判断をしすぎることによって、生きづらくなることもあるかと思います。

同じ書籍を読んだとしても、人によって、そこから何を学ぶか、その書籍のどの箇所が心に残るかは全く異なります。

人によっては、その書籍の内容に感銘を受け、あまりにものめり込み過ぎて、教義や形式などに盲従し、かえって人間的な成長にとって害になることがあるのではないかと思います。

これは宗教などによくある話だと思いますし、もちろんここで学んでいるスピリチュアリズム、心霊主義も同様だと思います。

そういったことを防ぐ意味でも、やはり、書籍や精神統一などでの学びと、一社会人としての、俗世間での仕事、ボランティア活動、家事、子育てなどは並行して進めていかねばならないのではないかと思います。

そして、こういった学習会に参加することでも、一人で学んでいては気づかないような、様々な学びを得ることができるのではないかと思います。

「一歩引いて見る」、「客観的に見る」という言葉がありましたが、非常に大切な事とは思いますが、一つ思うことは、客観的に見ているつもりでも、どこか、それは自分自身のこれまでに身に付けた判断力の中での「客観的」なのではないかと思います。

つまり、どのような人でも、いくら客観的に見ているつもりでも、神様ではありませんから、完璧な判断などはできていません。

その「判断力」、というものは、いかなる人でも、様々な人と接し、経験を積み、成長するごとに高まっていくものではないでしょうか。

そう考えれば、学ぶこと、経験すること、多くの人と接することの大切さが理解できるように思われます。

お釈迦様の言葉に次のようなものがあります。

うず高い花を集めて多くの花かざりをつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。

スピリチュアリズムにおいて最も重要視されているシルバーバーチの霊訓には以下のようなくだりがあります。

今のあなたには天国に思えることが、明日は天国とは思えなくなるものです。というのは、真の幸福というものは、今より少しでも高いものをめざして努力するところにあるからです。

結局のところ、人間は、社会に貢献する中で、様々な経験をし、そこから気づき、悟りを得る、そのようにして、常に向上し続けるものではないかと思います。

そのようにして判断力を高め続ける、つまり、人間性を高め続けるものではないでしょうか。

九州和の会の例会がそのための一つの学びの場となれればと思います。