思想、哲学、倫理、道徳などの必要性

暗い雲の中の地球

この世の中には様々な問題が存在しています。

地球環境問題、戦争、テロ、宗教問題、殺人、差別、略奪、暴力・・・

数え上げればきりがありませんが、そういった諸々の問題を解決するために必要なものとは何でしょうか?

問題が生じる原因

様々な問題を解決するために必要なことを知るために、まず、問題がなぜ生じるかを考えてみます。

問題と言うと、漠然としており、何が問題かは人それぞれ異なると思いますので、ここでは、問題の中でも、苦しみが生じる原因について考えます。

具体的に考えれば簡単なことかもしれませんが、痛いこと=苦しみであると思いますから、人に暴力をふるうことは苦しみを生じる原因になると思います。

嫌なことを言われるのも苦しみになると思いますから、悪口=苦しみとなり、悪口も苦しみを生じる原因と言えると思います。

これくらいのことであれば、改めて説明するほどのことではないというくらいの基本的な事実であると思います。

しかし、子どもなどを見てみるとどうでしょうか?

人に平気で暴力をふるったり、悪口を言ったりするものだと思いますが、なぜでしょうか?

恐らく、人から暴力を振るわれると痛いと感じ、人から悪口を言われると辛いと感じ、その時になって、暴力=苦しみ、悪口=苦しみとなり、良くないことであると理解するのではないでしょうか?

つまり、苦しみが生じる原因の本質的な部分には、苦しみが何か分からない、苦しみが生じる原因が分からない、すなわち、「無知」が存在するのではないでしょうか?

様々な問題の根底には無知がある

水槽の中の蛙

ここまでの話は、話題がやさし過ぎるので、当然すぎて議論する余地もないと思われるかもしれません。

そこで、次は、「カルト宗教」について考えてみます。

カルト宗教

カルト宗教とは、ご存知のように、信者を洗脳したり、マインドコントロールするなどして、信者から多額の献金をさせたり、詐欺行為をさせたりするなどの反社会的な活動をする団体ですが、信者たちは、悪気があってしているわけではなく、人々の幸福のためと信じて活動を続けているわけです。

つまり、自分は良かれと思ってやっているわけですが、客観的な事実としては、人を幸福にするどころか、苦しみの種を蒔いていることになります。

客観的事実に対する「無知」が原因と言う事になります。

ただこれは、分かりやすい例として、カルト宗教をあげましたが、社会的には問題視されていない伝統宗教などについても同様です。

教義に妄信することで、かえって本人の人間的成長を阻害しているケースが数多く見られると思います。

経済至上主義

日本は資本主義ですから、利益を追求することが正しいという価値観が、本質的な部分に存在すると思います。

しかし、利益の追求も行き過ぎると、苦しみの種を蒔くことになります。

単純な話ですが、物質は有限ですから、一部に集まりすぎると、足りないところが出てくることになります。

食料であれば、肥満になり病気になってしまうくらいに食料が有り余る地域と、飢餓に苦しむ地域が出てくるといったことが起こります。

このようにして、視野を広くしてみると、拝金主義も行き過ぎると良くないことは分かるのですが、企業に所属し、その中の価値観にどっぷりつかってしまえば、利益をあげる事が最重要課題のようになり、身近な問題であれば、家族を犠牲にしたり(家族を苦しめたり)、大きな問題であれば、貧困や飢餓などを作る元凶になっているのですが、当人はそのことに気づかなかったりするわけです。

これも、結局のところ、一言で言えば、客観的事実に対する「無知」が根本的な原因になると思います。

このあたりの問題になってくると、自分とは全く無縁の問題とは言えないくらいに、「身近な問題」になってくるのではないでしょうか?

問題を解決するために必要な事

ハートを持つ女性

これまでの話から、様々な問題の根底には、「無知」があるということが理解できたと思いますが、ここで、もう一つ考えておきたいことは、人を苦しめる=間違いということには必ずしもならないということです。

例えば、このような話をしたとしても、「努力をして自分が稼いだお金で贅沢な暮らしをして何が悪い。苦しんでいる人がいようが知ったことではない。」と言われてしまえばそれで終わってしまいます。

つまり、数学のように、明確に、正しい、間違いといった答えが出せないわけです。

科学が進歩して、インターネットという素晴らしいツールが登場しました。

しかし、そのツールは、人の役に立つ情報、人を幸せすることにつながる情報を発信することもできれば、人の悪口を書き込んだり、詐欺に利用したりというように、人を不幸にするようなことに使用することもできます。

このことから、いくら科学が進歩しても、それを問題の解決に使うこともできれば、逆に、新たな問題を作ることにもなることがわかります。

結局は、それを使う人間のモラルにかかっており、科学では、問題を本質的に解決できないということが分かると思います。

そのため、問題を根本的に解決するには、どうしても、思想、哲学、倫理、宗教、道徳といった、科学では答えの出せない要素が必要になってくると思います。

科学の発展も疎かにできない

しかし、だからと言って、科学の発展も疎かにすることはできません。

ここで、科学の価値について、もう一度インターネットの例から考えてみたいと思います。

もし仮に、科学が発展せずに、インターネットが開発されていなかったとしたら、そもそも、様々な問題を解決する糸口を見い出すことはなかなかできないと思われます。

インターネットは、これまでに問題の本質的な原因と考えてきた、「無知」の状態から、様々な知識を得て解放させてくれる重要な要素だからです。

そこで、当然のことながら、科学を発展させつつ、しっかりとした(人を幸せにできるような)思想を普及させることが必要になってくると思います。

思想を普及させるときに大切な事

ただ、思想などのようなものは、明確な答えがないだけに、様々な意見が生じ、対立が生じやすいのではないかと思います。

あまりにも「絶対にこれが正しい」、「こうであらねばならない」といった具合に、思想を絶対化してしまうと、既存の宗教が犯してきたように、排他的になったり、不寛容さを生んだりして、かえって問題を大きくする可能性もあるかと思います。

そのため、思想を説く団体に求められるのは、絶対的な教義、教えではなく、このように考えたらうまくいく、こういう考え方も出来るといった、提案、示唆、気づきといったものではないでしょうか?

幸福な世の中を築くために必要な事

今後さらに、科学はますます進歩していくと思いますが、科学の力によって、新たな問題を生み出す事のないよう、思想に関しても、同時に普及させていく必要があると考えられます。

住みよい、幸福な世界を築いていくためには、しっかりとした思想から得られる、精神性の向上も決して疎かにできない重要な要素ではないでしょうか?

光り輝く世界