新型コロナウイルスの感染拡大によって、多くの人の命が危険にさらされていますが、それだけでなく、外出が制限される事によって、経済活動が停滞し、中小企業の中には、人員削減や倒産の危機にさらされている所も出てきています。
このような状態になると、「これだけ多くの人が、経済的に切迫した状況に陥っている。一刻も早く、経済活動を再開すべきだ。」という議論が起こる事になります。
しかし、経済的に困窮する人が出てくる原因は、本当に国民の消費が落ち込むことにあるのでしょうか?
本当に経済が重要か?
政治家の立場としては、「国民の命を守る事が重要だが、一方で、経済も重要である。(なぜなら、経済活動が停滞する事で、多くの人が職を失い、経済的に困窮する人が出てくるから。)」という意見もあると思います。
確かに、理屈としては、筋が通っているようにも思われます。
しかし、物事は、様々な角度から見る事が出来ると思います。
この言葉を素直に受け入れるのではなく、スピリチュアリズムの思想をベースに、違った角度から見てみたいと思います。
問題の本質は本当に消費の低下にあるのか?
貧困を巨視的に考えてみたいと思います。
そもそも、物質は有限であるため、一部に多くの物が集中すれば、不足するところが出てくるところになります。
これは、お金に置き換える事が出来ますから、多くの金銭を所有する人が出れば、それだけ、貧困が増える事になります。
これを、この問題に当てはめてみると、違った解決策が見えてくるようにも思われます。
つまり、大企業や富裕層などにある、有り余るほどの金銭の一部を、金銭的に困窮している人に分配すれば、経済活動を急いで再開せずとも、必要最低限の生活は保障されるという事になるのではないかと思います。
経済成長を追い求めて貧困を生み出す矛盾
こういった発想は、新型コロナウイルスによって生み出される貧困を解決する手段を考える上でも役立つかもしれませんが、一方で、新型コロナウイルスなどによって、簡単に貧困が生み出されるような社会の仕組みを作り上げてきたという事に気付かされる事にもつながると思われます。
例えば、企業の利益を優先すれば、人件費削減のため、派遣労働者などの、不安定な立場の人が増える事になると思います。
また、優秀な人材を確保する事を優先するために、実力主義になり、格差が拡大する事になりますし、障害者などは、生活するのも厳しい状況に陥る事になります。
つまり、高い経済成長を追い求める事が、逆に、生活困窮者を生み出し、生活の質を低下させている事につながると考えられるのではないかと思います。
このように考えれば、新型コロナウイルスによって、生活困窮者を生み出さないようにするために、少しでも早く、経済活動を再開しなければならない(そしてまた、高い経済成長率を取り戻さねばならない。)という理屈が、何か、矛盾に矛盾を重ねているようにも思われます。
経済重視から共生社会への転換
新型コロナウイルスによる貧困問題が、単純に、経済活動の停滞によるものとは言えないという事が見えてきたようにも思われます。
もちろん、社会は複雑化していますので、これほど簡単に片づけられる問題ではないと思われます。
しかし、物事の本質というものは、いつの時代も変わらないように思われます。
シルバーバーチの霊訓には、以下のようなくだりがあります。
現在の地上には今日の食べものに事欠く人がいる一方で、有り余るほど貯えている人がいます。もちろんこれは間違っています。余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。別に難しいことではないと思うのですが。
シルバーバーチは語るp68
子供にでも分かるような簡単な表現だと思われますが、真実のようにも思われます。
政治や経済などの専門家の小難しい理論に耳を傾けていると、あたかも筋の通った正論であるように思えてくるかもしれませんが、もっと、根底にある、思想、哲学といったものを考慮すれば、皮相的な見解に見えてくるかもしれません。
問題の本質は、一人一人の、心の中にあるようにも思えます。
最後に、ユングの言葉を紹介します。
政治的情勢や、悪魔的とまではいわないにしろ、恐ろしい科学の勝利の結果、我々は密かな恐れと、暗い予感に恐れおののいている。しかし、我々はそこから逃れる道を知らない。そして、今や問題は長く忘れさられていた人間の魂の問題であるとの結論を下している人はほとんどいないのである。
ユング自伝2p182
昔の聖人のように、清貧に努めて、生活を切り詰めるような事をする必要はないと思います。
多くの人が、ほんの少し、我欲を抑えたり、利他的な行為をするだけでも、世の中は大きく変貌するように思われます。