因果応報

スピリチュアリズムにおいて、重視されている思想(法則)の一つに、因果律の考え方があります。

スピリチュアリズムを信じている人の中では、非常に重要な思想だと思われますので、これについて考察してみたいと思います。

シルバーバーチの説く因果律

原因と結果の文字

まず、シルバーバーチが因果律について説いている箇所をいくつかピックアップして考察してみます。

地上に起きる出来事はすべて法則によって支配されたものであると説きます。つまり原因と結果の法則が働いており、一つの原因には寸分の狂いもない連鎖でそれ相当の結果が生じるということです。

シルバーバーチの霊訓(八)p157

例えば、湖にコルクを投げると浮きますし、石を投げると沈みます。

トマトの種を蒔けば、かぼちゃやキュウリになることはなく、必ずトマトが育ちます。

当たり前と言えば、当たり前と言えるかもしれませんが、このような法則(自然の摂理)によって、宇宙の現象は営まれていると考えられると思います。

結果には必ず原因があります。自分の蒔いたタネは自分で刈り取るのです。四季は一つ一つ順序よく巡ります。地球の回転も地軸にさからうことはありません。潮は干満をくり返し、その正確さは数式できちんと計算できるほどです。

シルバーバーチの新たなる啓示p210

例えば、物を落とすとき、何秒後にどの地点にあるか、その時の速度はどのくらいかなど、きれいな数式で表すことが出来ます。

地球の公転周期などもきれいな数式で表せます。

このように、宇宙は、数式で表されるほどの完璧な法則の下に経綸されているわけですが、このような法則は、ビッグバンなどで、たまたま、偶然に出来上がったものではなく、宇宙を創造した、何らかの存在、知性が存在すると考えられないだろうかということになるようです。

以下は、アインシュタインの言葉です。

科学という営みに真剣に取り組んでいる人ならだれでも、宇宙の法則にはある精神があらわれていると確信しています。人間の精神にはるかにまさる精神です。

アインシュタインは語るp143

さらに、因果律について、物理学では証明されていない、道徳的、哲学的な問題に関してても、このような法則が成り立っているとされています。

神の摂理は精細をきわめ完璧ですから、一切のごまかしが利きません。悪の報いを免れることはできませんし、善が報われずに終ることもありません。ただ、永遠の摂理を物質という束の間の存在で判断してはいけません。

シルバーバーチの霊訓(四)p20

つまり、人に迷惑をかけるような悪い行い、利己的な行いをすれば、その行為をしたという事実が、自分の魂に刻まれ、自分自身を不幸にし、人を幸せにするような正しい行い、利他的な行いをすれば、自分を幸福にするということになるようです。

そして、当然、この世だけを考慮すれば、寸分たがわず自分に返ってくるとは言えませんが、あの世を考慮すれば、正確に、自分に返ってくるということが言えるということのようです。

さらには、この世は一見すると不公平だらけの世の中に感じられますが、輪廻転生を考慮することで、完全に平等にできているということが言えるようです。

仏教、キリスト教も因果律を説いている?

聖書

スピリチュアリズムでは、宗教の教祖なども、霊能力を使って、霊界からのインスピレーションを受け取り、真理(宇宙の摂理、法則)を説いたと考えられています。

そこで、仏教の教祖(釈迦)と、キリスト教の伝道者(パウロ)が、因果律について述べたのではないかと考えられる箇所をピックアップしてみます。

まずは、釈迦の言葉です。

悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ(地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。

ダンマパダ第一章17

善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。

ダンマパダ第一章18

次にパウロの言葉を紹介します。

思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。

ガラテヤ6-7

シルバーバーチが説くように、自分が行ったことは、必ず、自分に返ってきて、自分の幸不幸を決定づけることになるということと、同じ事を述べているように思われます。

ガンジーの言葉から感じたこと

ガンジー像

もう少し具体的に考えると理解しやすいかもしれませんので、「ガンジー」という映画を見たときに因果律について考えたことを紹介します。

ガンジーの下に、苦悶に満ちた表情の男性が相談に来ました。

その男性が言うには、自分は、異教徒の子供を殺してしまったが、どうすれば良いかとのこと。

この時に、ガンジーはなんと言ったと思いますか?

「この霊験あらたかなつぼを買いなさい。(言葉を唱えなさい。)」でも、「ヒンズー教に入信しなさい。」でも、「宗教の儀式を行いなさい。」でもありませんでした。

「異教徒の孤児を養子に迎え入れて育てなさい。」ということでした。

異教徒の子供を殺してしまい、罪悪感で苦悶している男性にとって、それは非常に苦しい試練になることは想像に難しくないのではないかと思います。

しかし、ガンジーとしては、自分が犯した罪と同等の善行を積む事で、この男性が、心の苦しみから解放されると考えたのかもしれないと思いました。

この男性が異教徒の子供にしっかりと愛情を注いで立派に育て上げることができ、さらには、孤児院を作り、多くの孤児を救うことができたとしたら、罪悪感はなくなり、それどころか、幸福感、満足感を覚えるかもしれません。

「自分は取り返しがつかないほど大きな罪を犯してしまった。しかし、それ以上に、これだけ多くの不幸な子供を幸せにすることが出来た。」と理屈で納得できるのではないかと思いますし、理屈抜きに、心の中は、安らぎに満たされるかもしれません。

これが、最も確実な本当の意味での「贖罪(罪の償い)」になるのではないでしょうか。

殺人犯の心の苦しみから考えたこと

掴もうとする手

ある有名な殺人事件に関して、因果律について考えたことを紹介します。

他人を殺めてしまい、警察から逮捕されそうになりましたが、うまく逃れて、何年もの間、逃亡生活を送っていた殺人犯がいました。

その犯人は、警察の手から逃れるために、無人島で生活していることもありましたが、その際には、毎日のように、悪夢でうなされていたとのことでした。

最終的に、犯人は捕まってしまいましたが、仮に、時効まで逃げ切り、(人間が作った)法的には、無罪となる事になったとしても、罪悪感という、心の苦しみからは逃れられなかったのではないかと思いました。

そして、シルバーバーチの話(多くの霊界通信の内容)からすれば、死後も心の苦しみを引きずることになると考えられます。

結局、この犯人も、自分の犯した罪から逃げずに、しっかりと悔い改めて、罪を帳消しにするだけの善行を積む事でしか、心の苦しみから逃れる術はないのではないかと思います。

因果律を知ることで幸福な世の中を実現できる?

良心

因果律を知れば、利己的な生き方を改め、自分なりに他人や社会の福利に貢献するような、利他的な生き方をする必要があるということになります。

このような人が増えるほど、おのずと幸福な世の中に近づいていくのではないかと考えられます。

多くの人を不幸にしている独裁者、犯罪者、拝金主義者などが、因果律を知っていたら、そのような事態にはならなかったかもしれません。

つまり、悪行の抑止力になるということも考えられると思います。

逆に、因果律を知ることで、善行に対する信念が強化される人もいらっしゃると思います。

因果律は、現在の科学では証明できませんから、「これが正しいのだ。」と断言することはできません。

しかし、科学が進歩し、宗教が力を無くしている現代において、因果律を、ある程度納得できる理屈で説明することは大切かもしれません。

道徳的な規範を無くすことで、悪い道へ進んでしまっている若者もいると思いますし、唯物主義が台頭し、経済至上主義が幅を利かすことで、お金や富を奪い合い、新たな苦しみを生み出しているように思われます。

因果律が完璧かどうかはわかりませんが、「自分なりに(自分の出来る範囲で)利他的な生き方をしようと心掛ける」ことは大切な事のように思われます。