江原啓之さんの八つの法則の解説
江原啓之さんは、テレビやラジオ、講演会などで、精力的に活動されていますので、ご存知の方も多いと思います。
ファンの方も多いようですので、それだけ、言葉に何か心に響くものがあるのではないかと思います。
江原啓之さんの書籍をそれほど読まれたことのない方は、ご存知ないかもしれませんが、実は、スピリチュアリズムにおいて、最も重視されている「シルバーバーチの霊訓」を読まれており、それが思想の根底にあります。
書籍の中で、スピリチュアリズムの思想を分かりやすいように、八つの法則としてまとめられていますので、スピリチュアリズムの思想の概要を理解するのにちょうどいいと思いますので、ここで、シルバーバーチの霊訓の内容と対比させながら、紹介していきたいと思います。
八つの法則とシルバーバーチの霊訓の比較
江原啓之さんのスピリチュアリズムの八つの法則を解説し、シルバーバーチの霊訓から、該当箇所を紹介させていただきます。
スピリチュアリズムの思想に対する理解を深めるのに役立つと思います。
一、霊魂の法則(スピリットの法則)
人間は霊魂であり、この世にいる間だけ、肉体という乗り物に乗って生活しているということです。
死とともに肉体を脱ぎ捨てて霊魂の状態で、死後の世界に旅立ち、永遠に生き続けると考えられています。
これは、スピリチュアリズムの最も基本的な思想であり、江原啓之さんも一番目に持って来られているようです。
シルバーバーチの霊訓には次のようなくだりがあります。
あなた方人間は物的身体を通して自我を表現している霊魂です。
引用元: シルバーバーチの霊訓(一)
この思想を持つことによって、以下のようなメリットが得られると思います。
- 唯物主義から来る利己主義や快楽主義に歯止めをかけられる
- 人間や人生に対する無価値観から解放される
- 死に対する恐怖心から解放される
- 死別の悲しみから解放される
二、階層の法則(ステージの法則)
死後の世界は、霊性(霊格、人格)の高さによって分けられており、無限の階層があります。
亡くなるときに、それまでに築き上げた霊性の高さに見合う階層にそのまま平行移動することとなります。
生前に人の為に尽くし、霊性を高めた人は高い階層に行き、人に迷惑をかけてばかりで、霊性を低くしてしまった人は低い階層に行く事となります。
この思想には、公平性がありますし、矛盾撞着がないことが分かります。
死ぬと、無に帰するとすれば、不公平だらけの世の中になってしまいますし、ある特定の宗教を信じた者だけが死後に幸福になるとすれば、それも不公平が生じることになると考えられると思います。
また、この思想を持てば、人の迷惑になるようなことをしてはいけないとか、人の役に立つような正しい生き方をしなければいけないという、道徳的に最も重要な価値観を得ることが出来ますし、あらゆる問題の根底にある、利己主義に歯止めをかけることに繋がります。
こちらでは魂の成長に応じた界、つまりその人の知性と道徳性と霊性の程度にちょうどよく調和する界に住むようになります。
引用元: シルバーバーチの霊訓(七)
三、波長の法則
同程度の考え方(人格、霊格、霊性)の人が引き寄せられるということです。
周囲に集まっている人を見ると、自分の程度が分かるため、それらを鏡として、学びにしていくことが重要とのことです。
これに関しては、シルバーバーチの霊訓には、引き寄せられる霊魂についての記載がありました。
宇宙には斥力(反発力)があるように引力(親和力)があります。親和性のある者どうしが自動的に引き合い、引かれ合うという法則です。
引用元: シルバーバーチ最後の啓示
四、守護の法則
人間一人一人に、正しい道へと導いてくれる背後霊がついているということです。
皆さんの味方として差し向けられる霊はいろいろです。地上で顔見知りだった人、血縁のあった人、さらにはそうした地上的縁とは無関係に、ただ地上人類への愛に動かされてやってくる高級霊もいます。
引用元: シルバーバーチの霊訓(十二)
生前から亡くなるまで、一人につき、一人の守護霊がついているとされています。
また、人に能力を与えてくれる指導霊などもついているとされています。
こういった、様々な役割のある霊を総称して、背後霊と呼んでいますが、このことに関して江原啓之さんは、分かりやすく守護の法則と呼んでいるわけです。
五、類魂の法則
類魂(グループ・ソウル)はスピリチュアリズムの思想の中では、難しい概念ですが、あの世に自分と知識や経験などを共有している、性質の似通った魂の集まりがあると言う事です。
その中の一部がこの世に誕生し、様々な学びや経験を通して成長し、類魂自体を成長させているということになっています。
また、類魂の中の他の部分が、また、この世に誕生して、類魂の成長を促すということを繰り返すわけですが、このことを輪廻転生と呼びます。
この輪廻転生の概念を取り入れることで、世の中に不公平さが生じる原因を説明することができます。
霊界には無数の側面をもった、霊的ダイヤモンドとでもいうべきものがあります。その側面が全体としての光沢と輝きを増すための体験を求めて地上へやってまいります。
引用元: シルバーバーチの霊訓(九)
六、因果(カルマ)の法則
何らかの原因があって、結果となる事柄が生じ、その事柄が原因となって、また結果が生じる。
この宇宙では、これが連綿と続いているということになります。
善悪の問題であれば、良いことをすればした分だけ、自分の霊性が上がって幸福になり、悪いことをすればした分だけ、自分の霊性が下がって不幸になるということになります。
この法則が、数式のように、完璧に出来ているということです。
このことが合理的である理由を以下に示します。
- 何が正しく、何が間違っているかを知ることができるため、人として成長できる。(良いことをしても悪いことをしても、自分に何も返ってこなければ、何が正しく何が間違っているかを、いつまでも気づくことができなくなるのではないでしょうか?)
- 自分のことを棚に上げて、人のことを非難することがなくなる。(謙虚になり、自分自身の未熟さを改善し、成長することに繋がる。)
- 公平性が保たれる。(自分がやったことは寸分違わず自分に返ってくることで、公平であると言えると思います。良いことをすると、赤の他人が幸せになり、悪いことをすると、赤の他人が不幸になれば、公平であるとは言えなくなると思います。また、良いこと、悪いことをしたという事実に対する結果そのものがなくなってしまえば、これも公平とは言えなくなってしまいます。)
結果には必ず原因があります。自分の蒔いたタネは自分で刈り取るのです。四季は一つ一つ順序よく巡ります。地球の回転も地軸にさからうことはありません。潮は干満をくり返し、その正確さは数式できちんと計算できるほどです。
引用元: シルバーバーチの新たなる啓示
七、運命の法則
生まれる場所、性別、生んでくれる親、出会う人など、ある程度の大枠は生まれる前から決まっていますが、その中で、どれだけ努力して才能を開花させて、世の中に貢献するか、出会う人と、良好な関係を築くか、争いを生じるかなどは自分の自由意志で決められると言う事になります。
人生のすべてがあらかじめ決まっているとしたら、人は努力して現状を改善したり、成長しようなどということもなくなるのではないかと思います。
また、困っている人がいたとしても、そういう運命なのだと考えれば、誰も助けようとも思わなくなるものではないでしょうか?
自由意志を行使することで、人生をより豊かなものに変えられるという自由が与えられているからこそ、人は成長し、より良い世界を築いていけるのではないでしょうか?
運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組の中で、あなた方が計画した予定表に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。
引用元: シルバーバーチの霊訓(一)
八、幸福の法則
人間は、輪廻転生を繰り返し、様々な経験を積んで、向上し続け、神(全知全能、完全無欠、完全なる愛)に近づく、つまり、至福の境地に至ることが究極的な目的であり、そのために、これまでの7つの法則があるということです。
これまで、解説してきたことに、不公平さや矛盾撞着がどこにもないことが理解できると思います。
死後の世界がないとしたら、輪廻転生を考慮しなかったら、運命が生まれる前からすべて決まっているとしたら、宇宙は理不尽な事だらけの世界であるということになります。
物理的な法則は、きれいな数式で表すことができますが、同様にして、霊的な法則、因果律も、まだ人間が解明できていないだけで、きれいな数式で表すことができるものであり、完全に公平が行きわたるようにできているとも考えられるものかもしれません。
スピリチュアリズムの思想について
ここで、解説させていただいたように、スピリチュアリズムの思想には矛盾撞着がどこにもありませんし、それを信じたからといって、この世の人生のみを考えたとしても、何も間違ったことが生じることにはならないことが理解できたかと思います。
結局のところ、この世の生活を、良心に基づいて正しく生き、自分の能力を発揮して、社会に貢献する中で、様々な経験を積むことが人間のなすべきこととなります。
努力を重ねて、人や社会の幸福に役立てば、幸福感を味わい、善とは何かを知り、過ちを犯して、苦しみを味わえば、何が間違いであるかを知る。
そのようなことを続けることで、少しずつ、宇宙の法則、真理に対する理解が進み、人間として向上していく。
この世の生活自体が、人を成長させてくれる教科書のようなものであると言えるのではないかと思います。
そのように考えることで、幸福な体験も不幸な体験も、自分自身の成長にとっては、大切な体験であると考えられると思いますし、さらに、死後の世界を考慮することで、無駄なものは何一つないということが言えるのではないでしょうか?