
「人間は皆平等であり、すべての人を同じように愛さなければならない」という博愛主義の考え方があります。戦争やテロ、貧困といった世界の深刻な問題を考えてみると、こうした思想は非常に正しく、私たちが生きていく上で欠かせない大切な価値観であるように思われます。
しかし、その一方で、私たちの日常生活を振り返ってみるとどうでしょうか。 このような崇高な考え方を持っている人であっても、家族や友人など、一番身近な人に対しては、思いやりのある言動がなかなかできないことが往々にしてあるように思われます。
今回は、身近な人間関係における「考え方の違い」と、お互いが歩み寄るための心の持ち方について考えてみたいと思います。
身近な人にこそ「自分の正しさ」を主張してしまう理由
私たちは、ニュースで見かける遠くの誰かには深い同情を寄せることができても、目の前にいる家族に対しては、ほんの少しの考え方の違いで腹を立ててしまうことがあります。
「どうして分かってくれないのか」「自分の考えの方が正しいはずだ」と、かたくなに主張してしまう経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
しかし、時間を置いて冷静になってから振り返ってみると、自分が強くこだわっていたことは、実はそれほど重要な問題ではなかったり、後になって「自分の考えが間違っていたかもしれない」と気づくことも少なくありません。
自分の感情を一旦脇に置き、相手に寄り添ってみる
そうであるとするならば、意見が食い違ったときには、自分の感情や「こうあるべきだ」という思いを一度脇に置いてみることが、関係を良くする鍵になるかもしれません。
まずは相手のほうへ歩み寄り、素直な心で相手の意見を受け入れてみる。 自分の考えに固執せず、相手が大切にしている思いに寄り添ってみる姿勢を持つことが、何より大切なのではないでしょうか。
「人は自分を映す鏡」お互いの心をほぐすもの
「人は自分を映す鏡」という言葉があります。因果応報、自分の発した言葉や態度は、そのまま自分に返ってくるという意味合いを持っています。
もし、博愛の精神が本当に大切だと思うのなら、まずは一番身近な人に対して、考え方の食い違いがあったとしても「一度受け入れてみる」という実践から始めてみるのが良いかもしれません。
こちらが相手の心に寄り添い、受け入れる姿勢を示すことで、相手の頑なな態度も自然と崩れていくこともあります。鏡に映るように、相手の中にも自分と同じ「素直な心」が現れてくるものだからです。
そうしてお互いが思いやりのある態度で接することができるようになったとき、私たちは初めて、真の意味での「博愛の精神」に少し近づくことができるのではないでしょうか。
あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。
釈迦、スッタニパータ149
残酷は残酷を呼び、争いは争いを生みます。が、愛は愛を呼び、慈しみは慈しみを生みます。
シルバーバーチの霊訓(八)p203
【お知らせ】 九州和の会では、こうした思想について共に学び、心を深める例会を毎月開催しております。9月の例会については、以下の案内をご覧ください。






