
私たちは、家族や友人、仕事仲間など、大切な人が間違った方向へ進もうとしているとき、「何とか止めたい」「自分の経験から見て、それはやめたほうがいい」と感じることがあります。
しかし、どれだけ心配しても、他人の人生を完全にコントロールすることはできません。
この「他人はコントロールできない」という事実を受け入れることは、時に苦しく感じられます。
けれども、その受け入れの中にこそ、相手の成長を信じるための大切な鍵が隠れているのではないでしょうか。
他人の間違いが分かっていても、止めきれないとき
自分のこれまでの経験から見て、「そちらは危ない」「その選択は間違っている」と、はっきり分かっているケースがあります。
それでも、本人にはまだその危険や間違いが見えていないことがあります。
こちらが「やめておいたほうがいい」とどれだけ話しても、まったく耳を貸してくれなかったり、聞いているふりをして結局同じ道に進んでしまったりすることもあるでしょう。
そのようなとき、私たちは無力感や苛立ちを覚え、「どうして分かってくれないんだろう」と感じてしまいがちです。
強制すると、「自分で気づく力」を奪ってしまうこともある
一方で、こちらがあまりにも強引に「正しいと思う選択肢」を押し付けてしまうと、別の問題が生まれます。
本人は自分でその道を選んだわけではないので、「なぜそれが正しかったのか」「なぜ他の道が間違っていたのか」を、心の底から理解する機会を失ってしまう可能性があります。
結果として、表面的には安全な選択をしたように見えても、本人の中では納得が得られず、いつまでも別の道への未練が残ったり、心の成長が止まってしまったりすることがあります。
この意味で、正しさを一方的に押し付けることは、「自分で気づき、学ぶ力」を奪ってしまう危険を含んでいるのです。
子どもの自我形成と「自分で選ぶ」経験
親子関係においても、同じことが言えるのかもしれません。
親が子どもの選択をすべて管理し、「これが正しい」「こうしなさい」と一方的に決め続けてしまうと、子どもは「自分で選び、自分で責任を取る」という経験を積みにくくなります。
その結果、自我が十分に確立されず、大人になってからも「いつも誰かの指示を待つ」「自分の意思で行動することが怖い」と感じてしまうことがあります。
自分の価値観を押し付けるばかりではなく、時にはあえて見守り、試行錯誤の中で本人が学んでいくプロセスを尊重することが大切なのではないでしょうか。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。
これは、「外側から環境を整えることはできても、最終的に行動するかどうかは本人の意思に委ねられる」という真実をよく表しています。
私たちは、相手にとって良いと思う情報を伝え、より安全な道を示し、「こういう選択肢もあるよ」と案内することはできます。
しかし、最後にどの道を選ぶか、どの一歩を踏み出すかは、それぞれの人の内側から湧き出る決意によって決まるのです。
あえて「転ぶ経験」を尊重するという視点
それでは、明らかに危険な道に進もうとしている人を、ただ黙って見ているしかないのでしょうか。
決してそうではありません。できる限りの情報や経験を分かち合い、「それでも自分はこう思う」と誠実に伝えることは大切です。
ただ、それでもなお本人がその道を選ぶのであれば、あえて「転ぶ経験」を尊重するという視点も、時には必要かもしれません。
痛みを伴う経験であっても、その結果から本人が深く学び、次の選択を変えていけるのであれば、その遠回りにも意味があると言えるのではないでしょうか。
間違った方向に進まないために、動機を見つめ直す
では、間違った方向に進もうとしている本人が、「その道に進まない」「進んだ後でも誤りだったと気づき、今後の選択に生かす」ためには、何が手がかりになるのでしょうか。
その一つが、「自分の動機について考えること」です。
自分が今選ぼうとしている行動や決断は、本当に誰かの幸せや、社会全体のより良い方向を願う利他的な動機から出ているのか。
それとも、不安や怒り、嫉妬心などに突き動かされて、相手を打ち負かしたい、支配したい、自分だけが得をしたいという利己的な動機が混ざっているのか。
この点を、本人が静かに問い直すことが、より適切な判断への第一歩になるのではないでしょうか。
私たちが参考にしているシルバーバーチの霊訓にも、動機の重要性が繰り返し説かれています。
人間である以上はその選択を誤ることがあります。そして途中で挫折してしまいます。そこで私たちは、善悪の判断に際して動機を重要視します。
シルバーバーチの霊訓(十一)p75
その時点で正しいと思われたことをなさればよいのです。ただし、これが正しいということに確信がなくてはいけません。動機が純粋であれば、その後に派生してくるものも善へ向かいます。
シルバーバーチの霊訓(八)p221
利他的な動機に基づいて選択する習慣
なるべく利他的な動機に基づいて選択肢を考え、「自分と周囲の人が、より幸せな方向へ向かうかどうか」を判断基準にする。
そのような習慣を身につけていくことが、結果として、正しい道・より良い道を選ぶ可能性を高めてくれます。
もちろん、人間ですから、いつも完璧に利他的でいられるわけではありませんし、利他的なつもりでも判断を誤ることはあります。
それでも、「自分の動機がどこに向いていたか」を振り返ることで、失敗を次の成長へとつなげ、少しずつより良い選択ができるようになっていくのです。
根本的な思想(判断基準)を持っていないとどうなるか
もし、こうした明確な判断基準となる思想を持たずに選択を重ねていくと、どうなるでしょうか。
その場の感情や欲求だけに任せて判断してしまい、間違った選択肢を選んで周囲に迷惑をかけたり、自分自身も苦しい経験を繰り返したりすることが考えられます。
さらに厄介なのは、その失敗の原因をいつまでも周囲のせいにし、「自分は悪くない」「環境が悪かった」とだけ考えてしまうことです。
その場合、根本的な考え方が変わらないため、同じ過ちを何度も繰り返してしまう可能性が高くなります。
だからこそ、利他的な動機を重んじる思想をベースとして持ち、「この選択は誰の幸せにつながるのか」「本当に人や社会を良い方向に導くものか」を自分自身に問いかける習慣が重要になってきます。
根本的な思想を持っておくことは、日々の小さな選択から大きな決断に至るまで、「より良い方向に進む」ための羅針盤として働いてくれるのです。
他人をコントロールしない生き方と、自分の成長
他人はコントロールできない。
そして、自分の人生の方向性は、自分自身の動機と選択によって形づくられていく。
この二つを同時に見つめることで、
- 他人の人生に過度に口出ししすぎない
- しかし、必要なときには誠実に助言をし、支え合う
- 自分自身も、なるべく利他的な動機に基づいて選択を重ねていく
という、バランスの取れた生き方が少しずつ育まれていきます。
失敗や遠回りの経験も、その過程で必ず起こります。
けれども、動機を振り返り、学びを重ねていくことで、同じ過ちを繰り返さず、より良い選択へと近づいていくことができるはずです。
思想を学び、ベースに持つことの大切さ
こうした人生観や、人間関係の捉え方を支えるのが、「根本的な思想」を学び、心のベースにしていくことです。
利他的な動機を重んじる思想に繰り返し触れながら、自分自身の価値観を少しずつ磨いていくことで、迷ったときにも戻ってこられる「心の軸」が育っていきます。
九州和の会では、このような人生の知恵やスピリチュアルな思想について、シルバーバーチの霊訓やさまざまな教えを参考にしながら、参加者の皆様と共に学び合う例会を続けています。
他人をコントロールしない生き方や、自分の動機を見つめ直しながらより良い選択をしていくためのヒントを深めたい方は、ぜひ一度、例会の場に足を運んでみてください。
【お知らせ】 九州和の会では、こうした思想について共に学び、心を深める例会を毎月開催しております。7月の例会については、以下の案内をご覧ください。






